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登場人物

李玉先 イ・オクソン 이옥선

李玉先(イ・オクソン)

90歳

慶尚北道・大邱(テグ)出身。

日本の植民地支配のもと、農作物は供出させられ、父と妹と貧しい暮らしだった。16歳のとき、日本人の男に「黙ってついて来い」と言われテグ駅へ。列車に乗せられ北満州の日本軍「慰安所」へ連行された。2年間拘束され重い梅毒にかかり現在まで病気の苦しみが続く。日本の敗戦で軍に置き去りにされ、ソ連人兵士によって襲われたところ、中国の民間人に助けられ帰郷を果たす。1994年5月韓国「従軍慰安婦」被害者の会の仲間14人と日本政府に謝罪と補償を求め来日。デモや座り込みではいつも先頭で太鼓を叩きアピールした。96年にかけ4回来日し記者会見や首相官邸前での座り込み、<アジア女性平和国民基金>への申し入れなど<被害者の会>を率い関東各地の市民集会や高校へ招かれた。

李玉先(イ・オクソン)さんの近況

2016年6月舞台挨拶

​2018年8月公開・MBC放送

ペ・ポンギ 沖縄のハルモニ

裵奉奇(ペ・ポンギ)

1914-1991

韓国・忠清南道新礼院出身。

1975年朝鮮人「慰安婦」被害者として初めで名乗り出た女性。1944年「お金を儲けさせてやる」と騙され、釜山から軍用船で沖縄の渡嘉敷島へ連行された。当時、特高艇の秘密基地とされた渡嘉敷島には日本兵約1000名が配備され、軍は民家を慰安所として接収し7名の朝鮮の女性を監禁した。沖縄戦の戦火を生き残ったが戦後、故国へ帰れず一人放浪してきた。1972年沖縄が日本本土へ返還された後、無国籍のため強制送還の危機にあい75年に入国管理局へ在留資格を申請し沖縄に連行された経緯を告白した。

ぺ・ポンギさんが初めて出演した映画

​『アリランのうた−オキナワからの証言』書籍・予告編

하수임 할머니 河秀任(ハ・スイム)
유복순 할머니 柳福順(ユ・ボクスン)

河秀任(ハ・スイム)

現在88歳

柳福順(ユ・ボクスン)

1917-2002

14歳から2年間、釜山の紡績工場で働いていたが、工場の幹部から大手の日本の紡績工場へ栄転させると言われ、北満州の「慰安所」へ連行された。将兵に抵抗した時に暴行され右腕が今も不自由。「慰安婦」であったことを地域では知られたくないと96年の来日時は仮名にしたが<アジア女性平和国民基金>への交渉や証言集会で生々しい体験を語った

全羅南道・光州出身。母、兄、妹の4人で貧しい暮らしをしていた。18歳の時「工場で働かせてやる」と騙され満州・大連の日本軍「慰安所」に連行され4年間拘束される。部隊の移動と共に南洋諸島に行き、日本の敗戦まで6年間拘束された。日本の敗戦後、船で仁川へ辿り着いたが、変わり果てたわが身を嘆き、家に帰れず各地を転々と放浪した。病気で倒れてから言葉が不自由になり94年5月には甥の妻が付き添って来日

文玉珠(ムン・オクチュ)

1924-1996

16歳のとき、外出中に憲兵に拉致され北満州の日本軍慰安所へ連行された。脱出し故郷の大邸に戻るが、「食堂で稼げるところがある」と騙され、再び慰安所に。1942年から3年間、日本軍の楯8400部隊の「慰安婦」とされビルマのマンダレー、アッキャブ、ブロム、ベグ、ラングーン、アユタヤへ部隊と共に移動した。韓国では3番目に「慰安婦」の名乗りをあげ91年12月日本政府に賠償を提訴した韓国<太平洋戦争犠牲者遺族会>の原告となる。93年<被害者の会>を結成し日本政府へ謝罪と個人補償を要請するが再三にわたり交渉を拒否され94年1月ソウルの日本大使館前で抗議の割腹自殺を図った。以降病身を押して5回来日し政府交渉や首都圏の集会にのぞんだ。明晰で度胸があり<被害者の会>の運動をけん引していたが、96年10月に急逝した。

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